わたしの万華鏡

~ 職員のエッセイ集 ~
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協力隊体験記

エッセイ
 みなさん、こんにちは。私は元青年海外協力隊員の林謙太郎と申します。
 この度2年の任務を終えて帰国しました。元々は松前病院にて言語聴覚士として4年間勤務していました。そんな縁がありまして、この度こちらに協力隊体験を簡単に記させていただきます。

アフリカの地図 私の赴任国はアフリカ南部に位置するジンバブエ共和国でした。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、現在(2009年7月現在)ジンバブエは経済破綻していまして、国としてのあらゆる機能が麻痺している状態です。
 私が赴任したのが2007年6月でした。もうすでにハイパーインフレ状態でして、物資不足、物価高騰が尋常ではありませんでした。

 言語聴覚士として聾学校での難聴児に対する発音指導と同僚教員への指導法の伝達というのが主なミッションでしたが、教員達は給料アップのためのストライキを長期に渡って行い、学校運営に多大な影響を及ぼしていました。仕方ないと思います。給料がいくら上がっても、ハイパーインフレのために物価上昇が著しく、ひどいときには給料1ヶ月分でパンが2斤しか買えないのです。まぁ、パンが売ってればですが。パンを買うのにも3時間の行列に並び、それでも買えないことは度々ありました。電気、水道といったインフラも元々は整っていた国でしたが、それらも機能しなくなり、停電、断水は日常茶飯事でした。人間というのは水がないと生活維持が難しいのだと心底思いました。

 基本的にジンバブエ人というのは温厚でとてもフレンドリーです。加えてとても勤勉です。国が破綻する前は教育分野においてもけっこう進んだ国でしたので、優秀な人材が育っていました。経済破綻というお国事情ですので、国外脱出をする人が後を絶たず、隣国の南アフリカ、ボツワナ、ザンビアといった国々に人材が流出しました。そして、その国々で持ち前の勤勉さと高い能力を生かして良い働きをしているジンバブエ人が多いと聞いたことがあります。実際、私が仲良くしていたジンバブエ人のうち何人かは今、南アフリカ、ボツワナ、アメリカ合衆国等で働いています。

 さて、ジンバブエでの私の活動ですが、最初の3ヶ月はなんとか子ども達に対する発音指導はできていました。しかし、前述した教員達のストライキが深刻化し、ついに学校がクローズしてしまったのです。その頃から物資不足も深刻化し、私も町中駆けずり回って物資調達にかかりきりでした。はっきりいって余裕がありませんでした。栄養もあまりとれず、体重が7キロほど落ちました。治安も悪化し、泥棒にも入られました。まぁ、これは私の責任ですが。人間というのはそういう状態で真価が問われるものです。身の程をいやと言うほど思い知らされました。子ども達に対して優しくなれなかったのです。学校が開いてなくても何かできることがあったはずです。私はまだまだ甘かった。今でも悔やんでいます。

 そんな状態でジンバブエでの生活が8ヶ月を過ぎた頃に任国変更の話が来ました。  ジンバブエはその頃、大統領選挙を控えており、益々の混乱が予想されていました。それに、仮に政権が変わったとしても、この混乱がすぐに収まる可能性は低く、2年間契約の半分以上を残しての状態で国を変更して新たに活動を再開する選択肢が与えられたのです。

 私は任国変更の選択をしました。結局ジンバブエで活動していた協力隊員は全員強制退去、そして、任国変更となりました。
 新しい任国は東アフリカ地域に位置するウガンダ共和国でした。

 ウガンダに着いてまず驚いたこと。物資が豊富、店が機能している、人が活発。要するに社会が機能しているということです。実際、今のウガンダの経済成長は順調です。
 そして、嬉しかったこと。それはなによりも活動ができたことです。私の任務はジンバブエ同様、聾学校での発音指導と教員への指導法の伝達でした。学校が開いている、同僚教員も遅刻、無断欠勤は日常茶飯事(私も便乗してました)でしたが、学校には来ているし、活動できる場所があったのです。成果はともかく、それが嬉しく、できることはやらせてもらったと思います。そして、配属先学校だけには留まらず、国内の学校を巡回指導したり、病院に出向いてイギリス人言語聴覚士と一緒に仕事をしたり、ストリートチルドレン更正施設を定期的に訪問したりと活動の幅を拡げることができました。

 ある時、ふと思いました。そうやってウガンダで活動できているのもジンバブエで身の程を痛いほど知ったからだということを。
 どんな状況でも何か出来ることを見つける努力を行い、それを実践する。あたりまえのことですが、ジンバブエでそのあたりまえのことが出来ず、後悔したからこそウガンダで実践できたように思います。

 協力隊に参加する前、先輩隊員の方々が口を揃えて言っていた事があります。
「協力隊に参加して、結局は我々がいろいろと学ばせていただいた。」
 我々の使命は協力する「側」です。しかし、結局は任国、任地でいろいろと学ばせてもらっているのです。

林謙太郎 そして、2009年6月16日に2年間の青年海外協力隊員としての任務を終了し、帰国の途につきました。ドバイでの乗り継ぎを含めた約20時間のフライトを経て6月17日に久々に日本の土を踏みました。
 テレビでは知らない芸能人がいっぱい出ています。道を横断する時に車が止まってくれます。みんな順番を守ります。公共交通機関の時間がほぼ正確です。道にゴミが落ちていません。店員さんが笑顔で礼儀正しいです。値段交渉しなくていいです。(これは少し物足りませんが)飲食店でメニューに載っている食べ物、飲み物が全てオーダー可能です。そんなこんなで日本の良いところを堪能しています。

「一度アフリカの水を飲んだ者はまたアフリカに帰る。」
 そんな言葉があるそうです。
 私、アフリカ好きです。今後も何らかの形でアフリカに携われたらいいなと思っています。

(林謙太郎/ST)
2009.7月



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