院内コロナ禍で学んだこと

2021年1月18日、ついに恐れていた事態が発生しました。数名の職員のコロナウイルス感染が判明してしまったのです。
昨年1月に世界で初感染の報道があって以来、日本中、いやいや、世界中で連日コロナの報道が途切れることはありません。(2021年2月現在)
もちろん私も世間で言われているように手指衛生、換気、マスク着用、不要不急の外出を控える等々、感染回避のために努力はしてきました。
しかし、それら努力も日常化すると、慢心が生じ、コロナパンデミックをどこか対岸の火事のような感じで眺めていました。
そこにきて1月18日の出来事。
突然前触れもなく横っ面を叩かれた感覚に陥ると同時に、コロナが間近に迫っている恐怖を感じました。
その後も他の職員、患者総勢6名の感染が確認され、当院はクラスター認定されてしまいました。
この緊急事態に私を含むリハビリスタッフは本業を中止せざるを得なくなり、他部署の補助に回ることに。
そして、家庭では妻、子供、同居している母とは可能な限り隔離して生活を行いました。
しかし、この騒動のおかげで、3つの気付きと学び、発見がありました。

 

3つの気付きその①

「他部署の仕事に触れ、組織で働いている自覚が芽生える。」

我々リハビリ部は約1か月の緊急事態シフト中の最初の2週間は主に欠員が目立つ事務所の仕事のサポートをしました。
事務の仕事はこの紙面では書ききれない程多岐にわたるため、頭と体をフル回転させて業務を遂行されているのが分かりました。加えて、業者、患者、その他諸々不特定多数の方々との接触があります。時にはイレギュラーの事態も生じ、その都度瞬時の判断能力が必要とされます。打たれ弱く、ストレス耐性が低い私はそんな状況がずっと続くと思うと恐らく3か月で転職を考えることでしょう。2週間事務所でお手伝いさせて頂き、事務の方々の大変さが分かりましたので、これからは事務所に用事がある時は忙しい時間を避け、簡潔に用事を伝え、皆様の邪魔にならないよう慎ましく行動しようと誓いました。
残りの2週間は主に詰所に出向き、看護師、ヘルパーさんの補助をさせていただきました。とはいうものの、非常事態の下、我々リハビリの人間は容易に患者さんと接することはできません。そんな中、前線に立って患者さんと接し、汚染ゾーンで仕事をされる看護師、ヘルパーの方々には頭が上がりませんでした。私が出来たことは電話番、物資受け渡し、チラシ作成、皆様の体温を集計し、保健所にFAXする、綺麗なエリアの環境整備等々、入社初日の社員でもできる仕事くらいでした。また、薄々は気付いていたのですが、看護師、ヘルパーさんはリハビリよりももっと深く患者さんの懐に入って仕事をされていることを確信致しました。これからはリハビリをしようと患者さんの部屋に入る際、看護師さんやヘルパーさんがその患者さんの治療、及びケアをされている場合は無条件に引き下がり、彼らに譲ることを誓います。
そのように、他部署の仕事に触れ、そのような仕事をされている皆様と関わりながらリハビリという仕事ができている事実を知ることで、病院という組織で働いている自覚を持つことが出来ました。

 

3つの気付きその②

「衛生観念が変わった」

手指衛生、うがい、マスク着用、ソーシャルディスタンス……コロナ禍の中よく言われている対策です。
しかし、本気で衛生に気をつけるならばそれらに加えて汚染エリア、準汚染エリア、クリーンエリアを分ける「ゾーニング」や、患者さんに接する時に身に付けるガウン、手袋、フェイスシールド等の防護服の着脱のタイミング、汚染が疑われる食器や物への徹底した消毒等々、

「ここまでやるか?」

っと、言わしめるくらいの徹底した環境衛生を学ぶことが出来たのは大きな収穫です。この学びを日常生活にも生かし、将来的には現在4歳の娘が思春期を迎えた時に

「お父さん汚い、臭い」

っと、言われないように衛生的な生活をしようと思っております。

 

3つの気付きその③

「家庭での隔離生活のコツを掴んだ」

全部で4回受けたPCR検査は全て陰性、濃厚接触者でもない私でしたが、万が一を考え、他の家族メンバーとはマイルドに隔離いたしました。部屋は普段は妻が不法に占拠している部屋を奪い、日常使う身の回りの物は全てその部屋に固め、籠城体制を整えました。最小限必要な物をその籠城部屋に固めることで、何が自分に必要なのかということを知るにつれ、必要最低限の荷物をバックパックに詰めて世界中を周っていた人生で一番生き生きしていたバックパッカー時代を思い出すことが出来、ちょっとした幸せを感じました。また、洗面、歯磨き、自分が使った食器を洗う時は外にある水道を使いました。私の飛沫を家族に触れさせない配慮です。寒空の中、歯を磨いたり洗顔したり、食器を洗っていると、キャンプ場に住みながら農場の仕事を転々としていた貧乏、家無しだったけどキラキラ輝いていたオーストラリア時代を思い出し、幸せな気持ちになりました。
というわけで、「一つの部屋での籠城生活」、「外の水道使用で飛沫を触れさせない配慮」は私の輝いていた時代を思い出す素晴らしい方法ということで、緊急事態を脱した今も続けています。妻に「早く部屋から出て行って」っと、言われようが、粘れる限り粘り、この快適な生活を少しでも長く続けたいと思います。
隔離手段はもう一つありました。
それは

「風呂は最後に入り、掃除をし、消毒をして出る」

です。
これは緊急事態を脱した直後、速やかに止めております。
このような隔離生活(一部継続)は、今後、家族の誰かがインフルエンザ等の感染症に罹った時に応用できる方法と考え、それを身をもって体験できたのは大きな学びです。
以上、今回の院内コロナ禍で学んだことを綴らせていただきました。
途中、脱線し、不適切と思われる表現も散見されたと思います。しかし、朝礼で院長はこうおっしゃいました。
「ユーモアは免疫力を上げます。この緊急事態下、ユーモアを忘れずに戦っていきましょう」(※一部拡大解釈有り)
不適切と思われた表現は私なりのユーモアと解釈していただき、笑って許して頂けたら幸いです。
まだまだ終息には程遠いコロナパンデミック。
たくさん笑って吹き飛ばし、一日も早い終息を願いましょう。

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