がん告知

胃がんを抱えているS藤 M美さんの場合

(38歳・女性)―99.3.31~聞き取り・本人確認

  • 99.2.25松前病院受診。県立中央病院に紹介され、スキルスタイプの胃がんを指摘され、すでに腹部全体に転移があった。本人の夫にがん告知する。治療をしても効果は乏しい。本人は夫を通じてがんであることを知ることとなる。3.18松前病院に戻る。病状の具体的説明と余命があと3ヶ月ほどしかないこと、今後の身体上の変化や精神的変化についての説明を受ける。明るい性格である。4月6日から東京ディズニーランドに家族で行く予定で写真ができたらUpする。――記事へ
  • その予定で4月6日に東京に向かったが、4月7日に強い腹痛が起きて浦安の病院を受診した。痛みは治まらず、その日に松山に戻ってきて松前病院で治療する事となった。だから、期待のディズニーランドには行けなかった。とっても辛そうだったが、きっとまた立ち直ってくれる。痛みは坐薬で治まっているが、まったく食べられなくなった。(4/9)
  • 痛みは回復して、少し食べられるようになった。(4/13)今度は鈍川温泉へ家族と姉一家で行くことにする。元気が出てきた。「東京で強い痛みが出てきた時、もうこのまま死んでしまうんじゃないかと不安になった?」「全然、そうは思わんかった。今日はディズニーに行ったという証拠の写真を持ってきた。」「次は鈍川温泉のも撮ってくるよ。」――記事へ
  • 5月。食べられない。――記事へ
  • 6月。相当痩せた。ほとんど食べず。しゃべることも思い通りにならない。――記事へ
  • 7月。死を待つのみ。お迎えが来て5日、午前7時49分、安らかに他界す。―――記事へ

―以下は本人からの話を元に盛次が記載し、本人の了解を得た文章です。できるだけ本人の話を忠実に表現したものです。―

S藤 M美さん (がんと聞いて)最初は悩むんですよ。今は1日でも元気でおられたらいいと考えてます。まわりは泣くんですよ。できるだけ明るくしようとしてますよ。こっちも泣いたら暗くなるし。

告知についてはすっきりしたと思う。だめならだめでしゃあないなあという感じかな。開き直るんです。元々他のことでも開き直れるタイプだから。

ずっと元気だったんです。体重も55Kgほどでした。仕事もバリバリしていたし、きちんとしないときがすまない性格なんです。仕事と家事・育児も両立していました。

昨年の夏ごろだったかな。献血に行ったら貧血と言われてすぐに病院に行きなさいと言われた。仕事を休むわけにもいかないし、医療費がかかると家計にも響くし、それで病院には行かなかった。でもその頃から食欲がなかったな。残り物があると、もったいないと思って食べ過ぎると吐いていたし。

このごろ急に痩せてきたので、まわりから見てもおかしいなあってわかるから、おばにも病気のことを告げようと思う。たった一人のいとこが5月の終わりには帰ってくるのでそれまで元気でいたいなあ。マグロ船に乗っているんです。4つ下で慕ってくれてたんです。ゆっくり会いたいなあ。

S藤 M美さん 家庭?中2の娘と小3の息子がいます。お姉ちゃんには病気のことを言ったけど、ちっとも家事を手伝ってくれない。掃除がしんどくってできないので手伝って欲しいのに。今日は怒りとばしてやった。下の息子にはまだ言ってない。いつかは言わないといけないと思うけどまだ小さいのでためらってます。

夫の両親と同居しています。おじいちゃんは足が悪くって座布団に座っていざりながらお手洗いに行きます。だから廊下は掃除しておいて欲しいのにおばあちゃんは自分の部屋さえも何度か言わないと掃除機をかけない。流しもそのままだし洗濯物もそのまま。おじいちゃんのお世話があるけど、ほとんどはテレビの番なのに。それで、このごろは自宅にいるとしんどいので姉のところに行ってます。

そのぶん夫が手伝ってくれる。夫はやさしい。でも、おばあちゃんが何もしないのでいらだってるみたい。私が仕事をしていたときは、(2月で辞めちゃったけど)夕方5時で終わって自宅に帰ってきてから全部していたんだから。やっとわかったかという気持ち。

子供の参観日に一度は行ってやりたいなあ。


S藤 M美さん さあ、明日はディズニーで思う存分遊ぶぞーっと気合の入っているところ。赤い服が息子。その横のうつむいているのが娘。子供達を見つめているのが夫。姉の一家と来ました。この時は元気。(4月6日)

 顔に手を当てるのは私のくせ。翌朝から、下腹部がとっても痛くなって浦安の病院に行った。診てもらった先生は「こんな病人なのに、ディズニーランドに来たりして・・・」という感じで、カチーンときた。点滴をしてもらった看護婦さんは優しかったんだけど、交代でやってきた人はブスッとして血圧も一回で測れないしひやひやしちゃった。

S藤 M美さん 点滴を打ってもらっても痛みが治まらず、姉が松前病院まで電話をかけてくれました。先生はモルヒネを使ってでも頑張ったらと言いました。でも、浦安の病院ではモルヒネの坐薬を使うと意識が朦朧とすると言われ、こんなとこで入院になったら困るので、結局飛行機で帰ってきちゃった。松前病院で点滴して、坐薬(モルヒネ)を入れたら治まってきた。

 姉と二人で何とか飛行機を取って帰ってきたんです。子供たちはかわいそうだからディズニーランドで遊ばせて、その代わり夫にいっぱいお土産を買ってきてねと言っといたのに、少ししか買ってこなかった、もうー。

 今度は鈍川温泉。近場だから大丈夫と思う。

 鈍川温泉には姉一家と行った。朝のうちに松前病院で点滴をしてから行ったんだけど、まあ、調子は良かった。でも旅館がだめだった。対応は悪いし。鱒(ます)のバター焼きを頼んでいたのに塩焼きが出てくるし、私、塩焼きは嫌いなんです。もう食べたかったのに!翌日はバター焼きが出ました。それも鍋料理が終わりかけに出てくるんだから、もう食べられない。でも、箸をつけてみたんだけど、これがまずい!宿泊客を大事にせずに宴会の客だけを大事にして…もう散々でした。
S藤 M美さん

 4月28日診察。点滴をしない方が食べられる。今日はモーニングを食べてきた。5月5日から久万町の父の友人のところに行く予定。10年会ってないので。今日も明るいでしょ!尿に出血、痛い。

 5月12日。食べられない。点滴をするとだるくなる。体重も40kgを切ってしまった。何を飲んでも吐きっぱなし。昼間は階下に住む父の所で寝ころんでいる。

 5月20日。ティッシュの山。胃液が上がってくる。かき氷のみ。濃い胃液を薄めるためだけみたい。足腰は大丈夫。でもトイレへ起き上がるまで勇気がいる。マンガ本も読む気がしなくなった。私ね、不思議なことにこの病気になる前にね、医師が主人公のマンガをよく読んでいたの。不思議。

 夫と子供を送り出した後は団地の1階にある実家に行く。階段はおんぶして。体重は36.5kgになってしまった。子供たちは全く変わらない。今度は松山にタクシーで出る予定。社会福祉協議会から車椅子を借りた。写真?きれいに化粧をしているときにね。夕方は特に唾液が出る。物を言いたいんだけどどっと出てくるので、夫は言うたら言い返すぐらいしろよと言うけどできないの。

 5月28日。道後温泉に行く予定にしてる。トイレに行くのが1時間くらいかかるようになった。遠洋漁業に出ていたいとこが帰ってきた。「ウソじゃ、ウソじゃ」といって当惑していた。私は帰ってきてくれてうれしんだけど、唾液が出るから気持ちを表現できない。つらい。布団が重くなった。羽布団を買ってきてくれる。ここ二日は桃が食べれた。夕方以降は特にしゃべるのがしんどい。飲み物を作ってくれたりするんだけど、すぐに飲めとうるさいし。

 6月3日。診察にも一言もしゃべれず、うなづくのみ。見ないテレビをつけているけど、音が無いとさびしい。

 6月12日。水分もほとんど吐いてしまう。濃い胃液が出ると喉が焼けるので薄めるために水分を摂っているようなもの。物を言うのもえづいてしまう。毎日、友達が4,5人尋ねてきてくれる。ウォッシュレットとベルをつけた。夫はごそごそとでも動けと言うがしんどい。何が一番大事かって?やっぱり家族の理解やね。

 6月18日。食べられないのにも慣れた。しゃべるのもしんどい。吐物に血液。坐薬(モルヒネ)は頭がボゥーとする。

 6月21日。口が乾く。冷水も飲めない。写真?嫌だ。

 6月24日。もう楽になりたい。点滴もいい。毎日苦しみだけで、もうしんどい。特に楽しみもないしね。全身倦怠がものすごい。トイレも連れていってもらう。オムツは嫌だけど一応当てている。子供たちとはもう挨拶ぐらいしかできない。昨日は夫の誕生日。それまでは生きておこうと思っていたからもういい。私が居なくなってもそれぞれやっていけるし。助かるもんやったら、奇跡が起こるもんやったら別やけどもう終止符を打ちたい。友達は来てくれる。でも相手がどう話せばよいか困っているのが分かるからつらくてしんどい。

 6月27日。医師を呼ぶ。いつまでか。「ここ1週間。」 えっ、1週間も。しんどい。足が鉛のようだ。ステロイドの注射を開始することになる。坐薬は半量を使う。少し楽になって眠れた。今日は親戚全部に集まってもらって言いたいことを言っておいた。

 7月1日。ステロイドの注射が効いた。子供行ってらっしゃいと言えた。明るいと言われる。毎日ステロイドの注射をすることになる。もう、ずっと食べていない。エステに行きたいなあ。

 7月3日。大雨。ステロイドは効いているがやはりしんどい。

 7月4日、日曜日なので親戚が多数参集。夜間、車の音がすると親戚が来たのかと言うと、こんな深夜には来ないよと言われる。神経は敏感だが、判断力はもう無い。

 7月5日。早朝より呼吸が荒く、脈も速い。7時49分、直前まで頷いたりしていたのに心臓が停止する。

 死亡確認。髪は知り合いの美容師が来ることになっているし、顔はエステの先生が来ることになっているという。そこまで自分で手配していたのかと驚いた(盛次)。心停止は一時のもの、死は心停止が来る前から初七日ぐらいまで続くものだと思う。我々医療の側は簡単な仕事をしただけに過ぎない。この間の流れは全て本人と一番身近なお姉さんを中心に家族が作り出したものだ。全ての皆さんに感謝したい。

 その後、あいテレビからホームページを見て取材をしたいという話があり、ニュースの特集で放映された。どこまでも明るいことが好きなS藤さんでした。きっと天国で笑っているだろうな。

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