整形外科医の内科学事始め

昨年NHKの大河ドラマでヒットした篤姫、その夫徳川家定は心身ともに病弱奇行の人で、34歳で薨去した。その病因について後世の学者は、脳性麻痺・脚気・コレラ、はては毒殺などと推測している。
医者で漫画家の手塚治虫氏は、作品「陽だまりの樹」のなかで、説得力のある異説を展開している。さて手塚氏は、何の病気と診断したのだろうか?
答えはのちほど。

話はかわって当院の話題。ことの始まりは、連携診療所のひとつ、精神科の医師からの入院依頼であった。うつ状態で食事が摂れないのだという。何科の担当ともつかない場合は、自然に院長の管轄となる。門外漢の整形外科医でも、点滴か、最悪でも中心静脈栄養でしばらく頑張れば、もどってくるだろうと、お引受けした。良くなる見込みの病気はこころも軽い・・・だったのだが・・・。
60歳男性、大企業の現役技術職。半年前から食べられない。どんどん体重が減る。立ちくらみあり、ふらついて歩行不安定。杖にすがって来院。憔悴した風貌。紹介医の最後のことばが気にかかる、「「うつ」らしくはないんですがねー」(?!)

はたして入院後事態は日増しに悪化。認知症様の言動、歩行不能、座位保持も困難、食物の飲み込み不良。誤嚥性肺炎、呼吸不全と、終末期の容態そのもの。私と同じ60歳にして・・・である!

なにをしている、早く専門医に送れ!と読者の皆様は思われるであろう。が、実はこの半年間にありとあらゆる科の専門医を受診、検査に次ぐ検査を受け、そのつど○○科的には異常ありませんと言われてきた、と家族の言。最後の消化器科の医者が困り果てて精神科に送ったという経緯と知って、いまさら何科に紹介できようか?

 家定の病気の診断に困り果てた幕末の蘭方医は、田畑を売って南蛮渡来のイギリス医学書を入手した。
オランダ語しか読めない彼らは、折しも浦賀沖に停泊中の黒船、ペリー配下の通訳にコネをつけて読んでもらった。
そこには家定の病像そのものともいえる症例が、詳細に記載されていたのである。
(上記「陽だまりの樹」による)

同じく診断に困り果てた現代の私は、「新病名思い出しツール」というウェブサイトを思い出した。
約180項目の症状・症候のなかから、当てはまるものを次々チェックしてゆく。最後に病名判断のボタンをクリックすると・・・確率の高い病名が列挙される。専門外の病気の診断には、まことに有難いサイトである。

項目を送りながら見てゆくと、なかには鉛中毒などと、ドキッとする病名もある。これは彼の職場に問い合わせて、可能性なしと否定する。残ったのが・・・・・・アジソン病!
じつに古典的な病気であった。
そう、家定侯もアジソン病であった、と手塚治虫氏は(というよりも幕末の蘭方医は)診断したのである。

そうと決まればコトはスムーズにすすむ。アジソン病は副腎皮質ホルモン、いわゆるステロイドホルモンが不足する病気。血液検査で確認ののち、このホルモン製剤を服用すればよい。
1日1錠薬価にして9円70銭で、見る見る改善した。食欲旺盛、快眠、聞くと「絶好調です!」と返ってくる日々である。遠からず復職されるであろう。

メデタシメデタシではあるが、これは後医の利である。病気が進行するにつれ症状が出そろってくる。そうなれば、研修医でも学生にでも容易に診断できる。前医をとがめる筋のものでは全くない。
ただ、クルマの修理にたとえれば、動かないクルマを前に、ブレーキは異常ありません、タイヤは大丈夫です、と言われているような、もどかしさを感じる。急性期医療の重視、専門医指向の世の流れのなかで、一人の病人をまえに、診断をつけ治療する、そのための知恵と労苦をいとわなかった幕末の蘭方医、先人の示したひたむきさは、どこかに忘れ去られたのだろうか。
(仲田 実生)

2009年06月

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