脊髄損傷を治す薬をさがして

非常勤で内科をご担当の阪中雅弘先生には、大学での御研究の一端、脊髄損傷治療薬の発見についてご紹介いただきました。
外国の超一流科学雑誌にも掲載された内容を、平易に書き下ろしてくださいました。

文明が進歩し社会が発達することによって、医療の水準が向上し、癌や生活習慣病といった病気は徐々に克服されつつある。しかし、外傷(けが)は社会の進歩にも関わらず一定の割合で発生し、むしろ新しい産業や機械の登場により、増える傾向さえ見られる。脊髄損傷(背骨の中にある大きな神経がやられて、手や足が麻痺する怪我)はあらゆる外傷の中でも最も治療が困難とされており、この治療法に関する研究が色々と行われて、一部は実用化されている。急性期(怪我をした後、数日以内の時期)では、二次損傷(出血やむくみなどの為に、損傷が当初のところ以上に広がること)を防ぐためにメチルプレドニゾロン(副腎皮質ホルモンで、数々の有害な副作用がある)の大量静脈内投与(点滴)や除圧術(神経の圧迫を取り除く手術)が臨床現場でも実施されてきたが、我々の知る限りは満足すべきものではない。慢性期(麻痺が固定した時期)には、神経再生を促す目的でNogo-A(脊髄の神経が再生するのを抑えている因子)の抗体や神経栄養因子の投与、幹細胞や胎児脊髄の移植などが動物実験の段階で試みられているが、神経細胞間におけるネットワークの再構築が期待に反してうまく行かないので、これらの慢性期脊髄損傷治療法は実用化の見通しすら、ついていない。そこで我々は、やはり脊髄損傷急性期こそが治療の好機と考え、急性期に静脈内投与することにより、脊髄組織の二次損傷を防ぐことができる医薬組成物を探索してきた。

さて、薬用人蔘(高麗人蔘とも呼ばれ、野菜のニンジンとは異なる)は古来より漢方処方(コウジンとして補中益気湯など、各種の処方に使われる)において重要な位置を占めてきたが、その神経系に及ぼす作用については、これまであまり明らかにされていない。我々1)は薬用人蔘の粗サポニン分画(crude ginseng saponins以下CGS)を50mg/kg/日または100mg/kg/日の用量で5分間の一過性前脳虚血(脳の一部の血流を短い時間だけ止める実験で、人間の一過性脳虚血発作のモデル)をスナネズミに負荷する前に、1日単回1週間腹腔内投与すると、海馬CA1領域の遅発性神経細胞死が有意に予防されると報告している。しかし、その効果は、他の成長因子などの効果と比べても、それほど優れたものではなかった2-6)。しかも、スナネズミに一過性前脳虚血を負荷した後に、50mg/kg/日または100mg/kg/日の用量でCGSを腹腔内投与しても、全く治療効果は見られなかった1)。従って、CGSを一過性前脳虚血よりも重篤な神経疾患(例えば脊髄損傷)の治療に応用することは、まずもって不可能であるとこれまで考えられていた。

しかしながら、我々は最近ラットの脊髄損傷モデルに対して、より低用量のCGSを静脈内投与したところ、予想に反して対麻痺(両足が麻痺して動かないこと)の治療効果を認めたので、以下にその結果を簡単に紹介したい。なお、本研究は愛媛大学医学部の動物実験指針に則って実施されたものである。

脊髄損傷は、吸入麻酔下で椎弓切除(細心の注意を払い、脊髄を露出する手術)されたラット(体重300g)の下位胸髄に20gの重錘を20分間留置することにより作成した(この動物実験モデルは、人間が怪我を受けて脊髄が損傷される状態に最も近い)。

図1 脊椎損傷24時間後
図1 脊髄損傷24時間後。
CGSを投与されたラットは、対麻痺が改善し、後肢でつかまり立ちできる。

図1は脊髄損傷ラットの後肢の状態を示す写真である。A,Bは共に脊髄損傷当日のもので、Aが生理食塩水投与例(n=10)、BがCGS静脈内投与例(n=10)(2.7mg/kg/日)である。両方のラットとも後肢の対麻痺を来している(足底が上を向いていることに注目されたし)。C,Dは1日後のものである。生理食塩水を静脈内投与されたCは前日(A)と同じ状態で後肢は対麻痺を来している。それに対してCGSを静脈内投与したD(Bと同一ラット)では対麻痺が改善し、後肢に体重をかけて、つかまり立ちをすることが可能となった。

図2 未治療の脊椎
図2A 未治療の脊髄。

図2Aの髄鞘染色に示すごとく、脊髄損傷後、生理食塩水のみを静脈内投与されたラットは後索を中心に、1週間後には組織破壊が著明で、ラットの後索に存在する錐体路も大部分が消失していた。

図2 CGS投与ラットの脊椎
図2B CGS投与ラットの脊髄は組織の破壊が少ない。

一方、図2Bの髄鞘染色に示すごとくCGSを脊髄損傷後に静脈内投与されたラットでは、おそらく二次損傷が軽減されたために後索の組織破壊の程度が比較的に軽微となり、皮質脊髄路(いわゆる錐体路で、大脳皮質から出た運動の指令を、筋肉に伝える経路)もかなり残存していた。従って、CGSの静脈内投与により、後索の皮質脊髄路をはじめとする神経組織が、二次変性ないし二次損傷を免れたため、CGSを静脈内投与された脊髄損傷ラットはつかまり立ちをすることが可能になったと考えられる。

以上のごとく、本研究では低用量の薬用人蔘粗サポニン分画(CGS)を静脈内投与することにより両後肢の麻痺を有する急性期脊髄損傷ラットが起立するという、我々の知る限り他に類を見ない薬効が見出された。このことは従来、不可能もしくは極めて困難とされてきた急性期脊髄損治療薬(救急車や一般病院で、すぐに点滴して、麻痺を防ぐ薬)の開発が単なる夢物語ではないことを強く示すものである。まさしく、人間に喩えれば「寝たきり」状態の急性期脊髄損傷ラットを起立せしめる化合物がCGS中に存在することを、本研究は明らかにするものである。しかも、我々の予備実験によれば、この脊髄損傷動物モデルに対して、メチルプレドニゾロンの静脈内投与は全く麻痺改善効果を示さない。この動物実験結果から判断する限り、CGSはメチルプレドニゾロンよりも優れた脊髄損傷治療用医薬組成物になり得ると考えられる。

本研究は、慢性期脊髄損傷に傾きがちだった研究者の視点を、効果的な急性期脊髄損傷治療法の開発に転換せしむるものであると期待される。今後はCGS中に存在する急性期脊髄損傷治療用化合物の同定を試みる予定である。

(K. Nakata , M. Sakanaka)

参考文献
1)Wen TC, Yoshimura H, Matsuda S et al: Ginseng root prevents learning disability and neuronal loss in gerbils with 5-minute forebrain ischemia.Acta Neuropathol (Berl). 1996;91(1):15-22.
2)Wen TC, Tanaka J, Peng H et al:Interleukin 3 prevents delayed neuronal death in the hippocampal CA1 field.J Exp Med 1998;188(4):635-49.
3)Sakanaka M, Wen TC, Matsuda S et al:In vivo evidence that erythropoietin protects neurons from ischemic damage.Proc Natl Acad Sci U S A;95(8):4635-40.
4)Peng H, Wen TC, Tanaka J et al:Epidermal growth factor protects neuronal cells in vivo and in vitro against transient forebrain ischemia- and free radicalinduced injuries.J Cereb Blood Flow Metab 1998 ;18(4):349-60.
5)Sudo S, Wen TC, Desaki J et al:Beta-estradiol protects hippocampal CA1 neurons against transient forebrain ischemia in gerbil.Neurosci Res 1997;29(4):345-54.
6)Kawabe T, Wen TC, Matsuda S et al:Platelet-derived growth factor prevents ischemia-induced neuronal injuries in vivo.Neurosci Res 1997;29(4):335-43.

2006年06月

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