私は、1998年11月から99年10月までの約1年間、ワーキングホリデービザを利用してオーストラリアに住んでおりました。
ワーキングホリデー というのは、「二国間協定に基づいて、18歳~25歳または30歳(国による)の青年が異なった文化の中で休暇を楽しみながら、その間の滞在資金を補うために就労することを認める査証(ビザ)及び出入国管理上の特別な制度である」(wikipedia参照)というものです。
現在日本政府が協定を結んでいる国は、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、韓国、フランス、ドイツ、イギリス、アイルランド、デンマーク、台湾、香港、ノルウェー(発行順)ということです。
場所はオーストラリアの東海岸やや北側にあるケアンズから車で2時間程南下したタリーという小さな町でした。
その町では、早朝に仕事を求める労働者が集まる広場に行き、そこに農場主がやってきてスカウトされることで仕事を得るという仕組みでした。私はある農場主にスカウトされ、町から車で30分ほど離れた場所に「連行」されました。そこは、東京ドーム何個分なんてレベルを超える見渡す限りバナナの木が生い茂る広大なバナナ農園でした。
仕事内容は………..4~6人でチームを作り、そのうちの収穫時期を見極めることが出来る2人が斧を持っています。そして、収穫時期が来た巨大なバナナの房が見つかると、私のような華奢な東洋人だろうとおかまいなく斧を持った大将に呼ばれます。
そして、私が大きなバナナ房を肩の上に乗せると同時に斧を持った大将はその簡単に人を殺せる鋭利な斧で房を「スパ-ン」と木から切り落とすのです。その瞬間、私の肩には大きいもので60kgはあるであろうバナナ房の重みがズシリとのしかかるのです。そして、そのバナナ房を運搬用トラックに運ぶわけです。こんな作業を早朝から昼過ぎまで延々と行います。最初の1週間は地獄でした。肩は腫れ上がり、足はぬかるみにはまりドロドロになり、雨が降ろうが風が吹こうが収穫時期は待ってくれないので休みなくボロボロ(と感じていたのですが)になりながら頑張りました。
そして、「もういやだ~」っと心で叫びながら1週間程経ったある日、バナナの神様が舞い降りてきました。肉体的にも精神的にも辛いと感じていた仕事が楽に行えるようになったのです。それから1ヶ月程その農場にお世話になりましたが、最後のほうは新人労働者にちょっと指導できてしまうくらいになり、仲間とも仲良くなり、とても楽しい時間を過ごすことができました。
そして、タリーを出る時、私はバナナで鍛えた筋肉マンになってました。但し、主にバナナ房を持っていた右半身だけですが………
みなさんが普段食べているバナナ。そのバナナはいろいろな人の労働の結晶です。バナナに限らず全ての食べ物もそうでしょうが、収穫者に感謝ですね。その感謝の気持ちを忘れず、おいしく食事を楽しみましょう。