事務長の青春むかしばなし

二十余年前のある日、「トレッドミルが欲しい。」と理学療法士から申し出があった。その頃、当院ではリハビリを開始したばかり。病院新築の借金 ン億円のころ。医療器械のカタログを見るとなんと定価600万円。目の前が真っ暗、頭がクラクラ。

トレッドミルが必要という申し出に何とか応えたいという気持ちもあり、院長、副院長(院長の故父)、そして私の3人で色々検討した。ある日とんでもない言葉が副院長の口から飛び出した。「作ってみるか。」再び目の前が真っ暗。曰く「トレッドミルの構造は簡単。ベルトが回りその上を人間が歩ければいい。」

その通りである。しかしどのように作るのだろうか。今は廃業しているが副院長の家は造り酒屋。蒸しあがった米を運ぶ時にベルトコンベアーを利用していたそうだ。そのベルトコンベアーをトレッドミルに改造しようという計画であった。その日から鉄工所と大工の日々が始まった。(ちなみに私が松前病院に就職をして最初に教わった事はノコギリの引き方である。)

一日の仕事終了後、毎日毎日3人でトンチンカン、トンチンカン汗と油まみれになり夜遅くまで作業を行なった。毎晩婦長が差し入れに来てくれ、その時のジュースが最高にうまかった、「今日はこれ位にしよう。」 作業終了後に3人で吸うタバコも最高にうまかった、いやな事も忘れ汗まみれになる事が本当に気持ち良かった事を思い出す。
私事ではあるが当時、我家では子供が2歳、妻は妊娠と大変な時期であった。夜遅く帰宅すると妻が「我家は母子家庭。」といつも言っていた。もう少し完成が長引いていたら離婚問題に発展する恐れもあったかもしれない。
失敗の連続の作業。なかなか前に進まず問題だらけ。「ここはこうするんよ。」「そうしたらいかん。」と助けてくれたのは野次馬の入院患者さん達、それぞれにその道のプロ、職人であった。

多くの人に支えられ、あっという間に7ヶ月経ち完成間近。最後に大きな問題が残った。スピードの制御である。素人では解決する事ができないので専門家に相談した。インバーター制御装置(スピード変換装置)を作ってもらって無事解決。(30万円位だったと思う)当時ではインバーター制御のトレッドミルはこれが世界で初かもしれない。


16年間働らき続け、このほど引退した自作のトレッドミル
右手前はインバーター速度制御装置

それから16年、たいしたトラブルもなく自家製トレッドミルは動き続けた。そして力尽きた。思い出が一杯詰まった自家製トレッドミル、16年間本当にご苦労さん。
将来、松前病院記念館を作り?そこに展示する予定である。


さすがに再度自作するバイタリティはなかった。新鋭機、定価250万也。

事務長  三瀬 裕司

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