当院の朝礼では職員が持ち回りでスピーチをする。
テーマは自由。
そんなある日の朝礼にて、当院一番の若手看護師Mさんが、彼女のお父様が朝鮮半島の北側の国でカメラを没収された話をされた。
その話に乗った院長が
「世界で一番危険な国ってどこでしょうかね?」
っと、旅好きの私に話を振ってきた。
その瞬間私の頭の中には
世界で一番危険な国?
ソマリアかな?
なぜなら…
1991年の内戦勃発以来、無政府状態が続き、治安もへったくれもない荒れ狂った状態が続いた結果、イスラム過激派の拠点となり、海賊が我が物顔で闊歩するようになったから。2012年に暫定政権が作られ形式上国の体は成しているけども、荒れ狂った状態を立て直すのは数年では困難だろうから….(この状態を「リアル北斗の拳」と表現した作家もいた。)
という思いと共に….
シンガポール、タイ、ジンバブエでスリに遭ったこと….ベトナムのホーチミン市の路上で危うく腕時計を引ったくられそうになったこと….ジンバブエに住んでいた時に泥棒に入られたこと、トマトを投げつけられたこと…..ウガンダで2日連続でバイクの引ったくりに遭い、荷物を必死に守った結果肋骨にヒビが入ったこと…..スリランカで詐欺に遭い1万円相当の被害を被ったこと…….バングラデシュでホモのお方に2回も追いかけられたこと(首都のダッカ市と別の町チッタゴン市、それぞれ別の人)……ミャンマー、インドネシアで賄賂を払わされたこと……フィリピンで物乞い少女にガムをあげたらその辺の路上から無数の物乞い少年少女が駆け寄ってきて走って逃げたこと……そしてそして……わずか2週間のトルコ滞在中に3回も非常にディープで危険な目に遭ったこと….
っという、私個人の海外での危険体験が走馬灯のように駆け巡った。
それらの話を時間の限られた朝礼で全て披露するとそれはそれは長時間となり、職員の皆様のウンザリした視線が突き刺さるのは目に見えていたので….
「ここでお話すると時間が足りませんので…..」
っと、お茶を濁してしまった。
っということで、この場所をお借りして私が遭った危険な体験、トルコ編を綴らせていただきます。
時を戻して2009年10月16日
私は前日、カタールのドーハ経由でトルコ最大都市イスタンブールに着いていた。
安宿で一泊し、朝からイスタンブールの名所ブルーモスク周辺を散歩していると日本語ペラペラのトルコ人男性に話しかけられた。
本来ならそんな輩は怪しいので鼻っから相手にしないのが鉄則!だからここはもちろん無視するのが……
10分後、私はそんな怪しい輩の友人が経営する絨毯屋に居た。
その絨毯屋のオーナーは先ほどの怪しい輩よりさらに日本語が堪能。
半地下の店内は床から壁から天井から絨毯で一杯である。
店内に漂う張り詰めた危険な雰囲気を感じながら勧められるままにお茶を飲む。
世間話をしながらお茶を平らげると、朝だというのにトルコの代表ビールであるエフェスビールを振舞っていただきそれも遠慮なく飲む。
今思えば睡眠薬が入っている可能性もあったろうに不覚な行動だったが幸い睡眠薬は入ってなかった。
世間話を30分程した頃だろうか。
出口を見ると屈強な男性が腕組みして私を見ている。
「しまった!」
簡単には出られないことを確信。
監禁だ!!
そして、その日本語ペラペラオーナーが突然表情を変え、
「ここに来て絨毯を買わなかった人はいない!さぁ、何か買っていってもらおうか!!」
っと、凄んできた。
一番安い物でも日本円で4万5千円程。
絨毯に全く興味が無く、また潤沢な資金を持っていない私が買うという選択をするわけがない。
2時間程脅されたり懇願されたりしたが私は
「絶対買わない!そんな押し売りで俺が大好きなトルコの印象を悪くしないでくれ!」
の一点張りで何とか解放された。
それだけで終わればよかったのだが、その日の夜….
午前の監禁事件で落ち込んだものの、日中はイスタンブール観光を順調に終え、夜になり一杯飲みに出ることにした。
通りを歩いていると自称ギリシャ人旅行者という男性に話しかけられた。
同じ旅行者ということで話は弾み、一緒に飲みに行くことになった。
やっぱり旅は一期一会だね!
そんな浮かれた気分に浸る私をそのギリシャ人旅行者はアクビルというイスタンブール市で使えるIC交通カードで地下鉄、ケーブルカーといったイスタンブール市内の公共交通機関に乗り、水を得た魚のごとくスイスイと移動し、イスタンブールの郊外に私を見事にご誘導。
そのまま半地下の怪しい雰囲気のバーに入ろうとした。
待て待て…..怪しい雰囲気には近寄らない!これ、旅の鉄則!
っというわけで、もちろん私は……
5分後、私はすごく危険な雰囲気の半地下のバーに居た。
ドリンクメニューを見ると1杯数千円。
店員の目つきは激しく鋭い。
入り口は屈強なガードマンが張り付いており出られるわけがない。
私を誘導したギリシャ人は2人のお世辞にも美しいとは言えないロシア人とおぼしきホステスを侍らせ「飲め飲め♪」なんてご機嫌である。
こりゃ完全にボッタくりバーだ!
そう確信した私は被害を最小限にとどめるためビールを1杯だけ頼み、チビチビ様子を見ながら逃げるチャンスを伺っていた。
そんな時、ギリシャ人がホステスに2杯目を振舞おうとしたので
「ちょっと待て~!もう帰るぞ!」
っと、自分でもびっくりするくらい声を張り上げ、ドリンクのオーダーを阻止した。
そしてお会計
800US$(当時のレートで約8万円)
ははは……
ギリシャ人と折半したとして400US$。
そのギリシャ人はブルブル震えながら400ユーロを支払っていた。
素直に払うと残り2週間ほどのトルコ滞在が困難になる。
何とか被害を抑えねば。
支払いをしない私を数名の目つきの悪い店員が取り囲む。
さぁ、どうする?
そこで私は…
「俺、今日トルコ2日目なんだよ。トルコと日本はすごく仲良しだよな?素晴らしい国だということも知っている。そんなトルコのことを知りたくて今回はやって来たのさ。ここで400$払うと残りの滞在ができなくなるのよ。だから……200$で勘弁してくれ~!」
っと、懇願するとあっさりOK!
しまった!100$って言えばよかった><
そうは言っても後の祭。
200$で手打ちとなった。
支払いを終えると、今にも殺人を犯しそうな目つきをした店長が
「この手の店はまだたくさんある。これから気をつけるんだぞ!」
っと、忠告してくれたのがせめてもの救いだった。(※自称ギリシャ人旅行者も当然グルです)
1日の間に監禁されるはボッタくりバーで騙されるはで私の自尊心はボロボロになった。
しかし、翌日からは気を取り直し、奇岩で有名なカッパドキア、石灰山で有名なパムッカレ、トロイの木馬で有名なチャナッカレ、その他諸々の無名な町を巡り、旅も終盤に差し掛かった10月24日。
私はイズニックというタイルで有名な町に居た。
この頃になるとこの旅2日目に受けたショックの傷も癒え、旅をフルスロットルで楽しんでいた。
この町は昔の要塞に囲まれたコンパクトな町。
要塞の城壁を辿れば町を眼下に見ながら歩くことができる。
あぁ~旅っていいなぁ~^^
異国の空間を堪能している多幸感に包まれる。
そして、あるエリアに足を踏み入れると…..
ピキーン…..
っという何とも言えない雰囲気を感じた。
その雰囲気はこのトルコ旅2日目で体験した監禁絨毯屋、ボッタくりバーの店内と同じ類のもの。
しまった!
っと思っても後の祭。
城壁の下には7から8人の少年ギャングが私を待ち伏せしている。
今にも城壁に駆け上がって来る様子。
どうせやられるなら救助を求めやすい地上でやられよう。
っと、意外にも冷静な判断が働き、一気に城壁を駆け下りた。
駆け下りた先には私を取り囲む形で少年ギャングたちが立ち塞がる。
そして、リーダー格の15歳くらいの少年が
MONEY!
っと、言いながら左手を差し出す。
背後にある右手にナイフを持っている様子。
何か助かる方法はないか?
人間危機になると五感が研ぎ澄まされる。
その時の私は第六感も働いていたかもしれない。
すると、向かって右側の10歳くらいのギャング見習いのような少年の横に隙間が見えていた。
その隙間からトラックが走ってくるのが見える。
よしっ!この見習いギャングを肘打ちして隙間を作り一気に逃げる。逃げた先にはトラックが来ている。トラックの荷台でもどこでもいいから駆け上がりこの場から一気に立ち去ろう!
チャンスは一瞬!
少年に肘打ちを食らわせたかどうか記憶にはないのだが、
「早く乗れ!」
っというトラック運転手の声が聞こえると共に、彼の腕に捕まり、トラックの助手席に引きずり込んでもらったのは覚えている。
助手席でその運転手が
「何やってるんだ!このエリアはすごく危険なんだ。外国人が足を踏み入れたらとんでもないことになる。気を付けろよ!」
っと、忠告してくださった。
その後は何事もなく無事に旅を終え、帰国。
これまでいろんな国、地域に行ったが、こんな短期間で3回も危険な目に遭ったのは初めてであった。
できれば体験したくない経験だが、こんなことがあっても隙あれば旅に出たいと思っている。
何で?
っと、思う方もいらっしゃるかもしれないが、嫌な体験があってもそれを相殺する、もしくはそれ以上に幸せを感じる体験をしているからである。
それらを綴るととんでもなく膨大な紙面を割かなければいけないので、これくらいで締めたいと思います。
旅っていいですね^^
言語聴覚士 K.H.